北浜、城之腰、鰯ケ島、
最近注目の「漁業のまち燒津の元町?(中心)・浜通り」を散策しました。
東側が浜、西側が堀川(黒石川・江戸時代に掘られた運河)
この間に南北の通じているのが「浜通り」です。
北側の北浜と南側の鰯ケ島は船元、漁師さんが多く、
中の城之腰は加工業者が多い街です。
北浜から城之腰まで、
ゆったりと「直ぐ左手(東側)が浜、なんだ・・」と描きながらの歴史散歩。
集合は、浜通り北端の「船玉浦神社」(ふなだまさん)
朝からの強風、その中受付する参加者の方
2班に分かれての散策となりました
ガイド資料をしっかりと手にしながら
先発A班を案内「浜の会」清水会長
後発B班は「浜の会」長岡さん
何と云っても「小泉八雲」は、外せません
題は、小泉八雲と浜通りでも良いかも知れません
浜通りを、八雲風詠の碑から南側を臨む
同じく北側を臨んでいます(八雲の碑方面)
「北の弁天さん」(護信寺)、
「南の青峰さん」と共に漁の安全、大漁祈願で信仰されていました。
伊豆石で築かれた倉庫
燒津神社・荒祭りの渡御行列の「北の御旅所(日本武尊上陸の地と伝わる)」神事も執り行われる
浜に隣接の浜通り、高潮との闘いが有りました
現在の車道、以前は防波堤でした
現存の「波除八雲地蔵」、八雲が補修した様です
個人宅で設置された「波除の為の塀」
常照寺、説明をしている住職の後方の阿弥陀様の「円い光背」の色が 銀色です。北京五輪銀メダル(ご子息)を表しています。
浜通り、城之腰方面(南側)を臨む
「或、鰹節屋さん」の店、帳場や金庫などが見えます
一枚板の見事な上がり框(かまち)
鰹節組合の屋号一覧・燒津の屋号は400以上、
焼津信用金庫も「○に生」マルセイで通っています
城之腰の風情ある町並み・・・
「ぬかや」さんの前で集合写真
この歴史散歩で改めて気付いたことが有ります。
それは、やはり「高潮」などで溢れる海水、浸水被害との闘いです。
ある参加者の方が「通路を海水が、勢いよく川の様に流れる」様を子供の頃見た話されていました。
その闘いの例として
波除け堰です、溝に板を差し込んで建物内への浸水を防ぎます。
また逆に、床下の常には差し込まれている板を外し、
床下に海水を通して排水する(写真なし)設備も有ります。
(1) (2)
(3)
排水小路の例。
現在も汚水排水設備として当然通路としても利用されています。
散策中にも10通り以上気づきました。
「浜通り小路No1~NoX」等とネーミングするも良いかも知れません。
(はんだ むねお)