リポートreport

No21・どうする家康ポタリング

No21・どうする家康ポタリング 家康が愛した田中城を中心にゆかりの史跡を巡る!(5月20日(土))

今年は「家康人気?」の年、従来偉大さを認めながらも「狸おやじ←家康」のイメージが付きまとっていましたが、TVドラマ「どうする家康」の家康役に人気タレントが起用された事も有り、どうもそれも一新されそうな状況となっています。

そんな勢いに乗り田中城周辺の彼(?)の史跡を、参加者の方は自転車に乗って巡りました。

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背景に「とんがりぼう」が見える蓮華寺池スマイルホール前に、レンタルした自転車と共に集合。
まち歩き「手練れ案内人」の一人佐野さんから、案内コースの説明及注意事項などを受けて、

「いざ出発・・・家康公の足跡を尋ねに・・・」

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「ほんの少しペダルを漕いたな」と感じる間もなく、了善寺へ到着。

其処には、本能寺の変の際家康主従を明智光秀軍の手から救った「小川孫三」の墓が在ります。

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小川孫三は、伊勢(三重県)の白子という地区の住人でしたが家康を逃した〈主に三重県~愛知県(伊勢湾)の海路)為、追われる事になりました。
そんな窮状に恩返しとして家康は、孫三に藤枝の東外れの地に新白子をつくり居住を認め、其の上税免除などを約束した朱印状を与えました。

この様な経緯で今の藤枝の白子が生まれました。

現在の小川家は15代目となり、旧東海道の白子町の一角で「小川眼科医院」を営んでいます。

以前の医院は、ほぼ2階建て全面を「蔦」に覆われていて白子の目印となっていました。

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田中の交差点

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青山八幡宮入口付近

 了善寺からは、ポタリングの威力を発揮して「田中の交差点」、今は姿が変わってしまっている「水守交差点」を越えて「青山八幡宮」へ。

青山八幡宮は、京都石清水八幡宮の別宮で、平安時代の源氏(源頼義等)が五里毎に建てた「五里八幡」の一社。
江戸時代の大祭では藤枝宿の屋台が神輿渡御の行列に付き添っていたが、明治の廃藩置県後は「飽波神社」の藤枝大祭に、屋台の引廻しが受け継がれました。

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案内人佐野さんの説明に聞き入ります

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田中城航空写真・同心円の形状が良く判ります

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御成街道を城に向かって西進し、掘割と土塁が見えてきました。
※田中城航空写真●印の場所

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他の城には見られない同心円状の掘割を持つ「田中城」が、参加者の方の目前にお目見えです。

鷹狩の際にのどが渇いた家康に、道端の井戸水を従者が献上、馬の乗ったまま口にして「甘泉飲むべし」と喜んだ以来「この井戸を「馬上の清水」といわれています。

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家康が利用した「御成街道」(城の東口へ続く約1.7km)の標識

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田中城本丸跡のジオラマ模型(西益津小校庭)※田中城写真●印辺り

城の特徴が判りやすくなってますが、天守閣は視覚用に作成されたものです。

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田中城南側に流れる六間川辺の下屋敷跡に到着。城内から移築された2階建て建物を見ながら解説に耳を傾けます。

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石垣の上の建物内に入り、城の模型などにに見入りました。

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天候にも恵まれ、綺麗に残された掘割に出会えました。
参加者の皆さんは、堀の内側に在る土塁へも足を運び、清々しさを満喫された様子でした。


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弘道館(水戸藩)と並び称された藩校日知館が在った付近です


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今でも清水が沸いている三ノ堀に到着 ※田中城航空写真●印の場所

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田中城上水道の源泉姥ケ池までポタしてきました。
旱魃でも水が減らないもっとも上質な湧き水だった。
訳あり城の乳母が身を投げたことから姥ケ池となりました。

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藤枝大祭屋台の車輪が保存されています

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田中神社・田中城内に在り、本多家の鎮守だったが現在は、城北側の旧国1線沿いに移されています。


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田中神社の隣接し、少し鬱蒼とした所に役行者の石像

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江戸時代後期、台風被害により年貢納入が困難になった農民が、観音山(藤枝市郡)に蓑笠姿でに集まり、一部打ち壊しもした「蓑笠騒動」が有りました。
その首謀者として増田五郎衛門が全責任を負って自主、源昌寺横の刑場で打ち首となりました。
寺の裏側に、義人五郎衛門の冥府を祈る「首切り地蔵」が有ります。
現在は、地蔵盆(8月24日)に供養祭が行われています。

源平の戦い「一ノ谷合戦」で、貴公子敦盛を打った源氏の
武将熊谷直実(蓮生坊)にまつわる「蓮生寺」に到着し、今回のポタリング最終となりました。

頼朝と袂を絶った直実は、仏門に入り東国への旅の途中藤枝で路銀がが無くなり、この地の長者に借用した際の質物として南無阿弥陀仏と10度唱え、「金色の阿弥陀仏10体出現」または「庭の池に10個の蓮の開花」等の話が語り継がれています。

レポート担当:はんだ むねお